第二外国語を勉強する意味を考えてみた
大学の必修科目の中に
第二外国語がある方、多いと思います。
私も高校時代、
ただでさえ苦手な英語に加えて
新しい言語を習わなくてはいけない大学生活を
想像しては憂いたものでした。
結局アメリカの大学に進学し、
「日本語ネイティブ」ということで
二外の単位を免除してもらったのですが、
卒業後、振り返って
第二外国語をやりたかったな、
という気持ちでいっぱいになりました。
そしてその気持ちは冷めず、
韓国語を第二外国語として
勉強し始めました。
なぜそこまで意欲があったかというと、
より多くの文化(=言語)に触れることで、
より多くの「正解」を
自分の中にストックしておきたかったからです。
まあこれは
留学経験が強く影響しているのですが、
純ジャパの私が日本の高校を卒業して
英語圏に留学するのって、つまり
・英語ってかっこいい!アメリカってかっこいい!というパラダイムのもと
・必死で英語を勉強し
・文化差の激しいアメリカで生活する
ってことだったんですね。
とにかくアメリカを、英語を崇める、みたいな。
もちろん留学する上で
留学先の言葉をマスターすることは大事です。
ただ、気持ちとして
1つの外国語そして文化に集中しすぎて
自分の考える「文化」というものが
日本vsアメリカになってしまったんですね。
そして、一時帰国中は、
口を開けば
「へ〜日本だとこんなことしてるんだ〜
アメリカだとこうだけど?」
などと言っていました。
留学を終えた後、ふと
自分の歪んだ「文化」の捉え方に
窮屈さを感じ始めて、
日本ってこうだよね、アメリカってこうだよね、
「いや、○○だと違った見方があるよ!」
の、○○の役割を果たしてくれる
第三国を探したということです。
(まあ、韓国文化が中立的かどうかは置いておいて...)
もちろん、旅行などで色々な国をまわって
もっと幅広い、そしてより感覚的な
「文化」の広げ方もありますが、
個人的には言語学習という
考えて考えて、地味にコツコツとやる作業の方が
「文化」が身に染みてきます。
そこはきっと、人それぞれですね。
というわけで、
第二外国語の学習は
自分の考えを広げさせてくれる
いいお友達だという
日記でした〜。